平林集落に来るのが砂利道だったころから話をはじめる。平林から先は人馬で踏み固めた尾根道しかなかった。もう50年以上前のことになる。雪が積もると野良仕事はできない。男たちは斧と鋸を手に、靴にカンジキをつけて山に入った。雪の山は木を切り出す時節でもあった。いまは年中、材木を切り出すが、むかしは木が甘味の樹液が少ない冬が伐採のときだった。糖分が少ないので虫がつきにくいからだ。
大寒のときは吹雪く日がつづく。そんなとき、男たちは、どこかの家に炉端で過ごすことが多かった。ほうじ茶のおかすは、沢庵と鍋の大根の葉っぱの煮物だった。どの家にいっても、これは変わることがなかった。牛の反芻のように同じ話を何度もし、何度も聞いていた。
また、毎日40,50センチ雪がつに重なっていくと、カンジキを履いていても雪の深さが腰を超えるようになる。そうなると動くことが出来ないから、雪が固く締まるのを待つことになる。
2月4日は立春。このころから陽ざしの温かさが増していく。雪は締まって固くなり、樹々は芽を膨らませるために15℃ほどの地下水を枝に送りはじめる。その地熱で樹の周りが、ドーナツ型に地面が見えるようになる。そうなると男たちの山仕事が本格化した。
それは昔の話しだ。いまは、材木は輸入材が大半を占め、金にならない国産材は見捨てられている。最近になって材木の価格が急上昇したが、どこの山里の町からも製材所が消え、山民もいなくなってしまった。国もようやくこの重大さに気がついたようだ。来年度から、東京圏から地方に移住する場合、子供二人と夫婦の場合は300万円の支援金が出るようだ。自然はみんなの宝です。みんなで守っていく枠組みづくりが不可欠なのです。
私ごとになるが、まだ残雪のある山に入り、折れたり倒れたりしている樹や竹を片付ける。さもないと里山は、強いものがすべてを支配する原始の姿にもどろうとするからだ。
危険な作業で、私に手に負えませんので、仲間のただともさんに伐採を依頼しました。興味ある方は動画もあります。「作業のようす」ファイルの「雪の重みで裂け上がった倒木の処理」をごらんください。
今年も、雪が少しのこる三月の中ごろから、入れをはじめます。
子どもたちは、このころにやってきます。
春の里山な山野草が咲き競い、マンサク、ヤマザクラ、コブシなどの花樹がつき次と咲いていきます。しかし、自然にそうなるわけではありません。人が介在し調和を保って行く必要があります。これは数千年にわたって山の恵みでいのちの鎖を伸ばしてきた人間の知恵なのです。
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