平林の集落の家が途切れたところから赤江川にそって500メートルほど上流に行くと、送電線の保安のための仮設橋がある。そこが蓑手山(みのてやま)の登山口になる。今回はその蓑手山とその岩石の山を切ったように流れる谷川の話しです。
仮設橋を渡るとそこから、足を滑らすと転がり落ちそうな急な登り道がはしまる。馬の背までは距離にして300メートルほどだが、白頭者の私には、何度も足を止めて息を整えないと登れない。急な登りが終わったところに、私がマンモス杉と名づけた杉がある。毎年山菜採りにこの山に入るがこの杉に会うのをたのしみにしている。今年は微笑んでいるように見えた。
馬の背にまでくるとゆるやかな登りが山頂にある鉄塔のところまでつづく。新緑の気持ちよい山歩きだ。
道は鉄塔のところで終わる。その先の落葉樹の森を少し進み、それから谷の方に下りていく。山頂の急斜面に太いゼンマイが生える。岩盤の上にわずかな腐葉土が積もり、そこがゼンマイ畑のようになっている。ときどき笛を吹き、けものたちに人間が入ってきたことを知らせる。ゼンマイを採りながら壁のような急斜面をけもの道をなぞって、木の枝や藤の根につかまりながら降りていく。
ゼンマイの自生地を下りると、今度は岩肌にへばりつくように広がるヨシナの自生地が現れた。ヨシナは湧水がしたたり落ちる岩肌に自生する。キンピラがよく知られた食べ方である。収穫の時期は五月に入ってからになる。
ちょうど西瓜に包丁を入れたように山を二つに割る流れがここからはじまる。この峡谷を削ったゆるやかな流れに名前はない。悠久の時を掛けてこの小さな流れが巨大な砂岩の山を二つに割いた。帰りは小さなせせらぎが掘りこんだ回廊の中を愉しみながら峡谷を赤江川の合流点迄歩いた。四時間のゼンマイ採りの山遊びだった。
集落でもゼンマイ採りは山を熟知していなければできない。この回廊のことを知っている者も、集落に数名しかいない。山に人の手が入ってた半世紀前まで、山は明るく、ゼンマイも一杯採れた。しかし、プロパンガスの普及につれて、里山に人は入らなくなった。次第に山も暗い原始の森の戻り、ゼンマイも谷の奥のすり鉢の中のようなところか、切り立った谷の上部でしか見ることができなくなった。
里山に人手が入っていた私の子どもの頃は、山菜採りを職とする山師が押し寄せてきた。しかし、それを生業(なりわい)にしていた人たちの姿も消えた。平林の集落でも山菜採りに山に入る者は、高齢者になってしまった。やがてゼンマイを採る者はいなくなると思うが、飽食の時代にその必要もないだろう。だが、ゼンマイが出はじめるとウキウキし始める者も山里に居る。
この写真は茹でて綿帽子と幼葉をしごき取ったところ
ちょっぴり危険もともなう山遊びは最高に面白い。
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