私たちが手入れをしている平林(ひらばやし)の里山に、今年の春、多くの子どもたちがやってきた。年寄りが多い寒村に、半世紀ぶりに子どもの声がこだました。いまは七戸しかない集落も、50年前には17軒の農家があり、多くの子どもたちが遊び回っていた。
小径木の間伐と大樹の剪定をすすめて2年が経過していた。暗かった広葉樹の森の落葉にいく筋もの光の柱が立ち、木洩れ日が落ち葉にまだら模様を描くようになった森に、しんでん保育園の先生を案内したのは去年(2021)11月のことだった。ねらいは、子どもたちの知恵を借りながら、多くの山野草が咲き、野生の生きものたちと人とが共存できる広葉樹の森を創りたかったからだ。
手入をはじめたら、もうこの山では絶えてしまったと思っていた山野草がよみがえってきた。ショウジョウバカマ、イカリソウやイワカガミなどの山草がコロニー(生物集団)を作りはじめた。
森に手を入れ始めたら、いろんな野生動物も姿を見せるようになった。特別天然記念物のニホンカモシカ、絶滅が心配されているモリアオガエルやギフチョウたちも姿を見ることができるようになった。
そして、令和4年の春になった。多くの子どもたちがやってきた。
仏教が伝来してくる前から、人は里山のもとで暮らしてきた。山を神として崇め、そこで採れる木の実や草の根を神からの賜りものとして食べ、獲ったけものや魚貝を神の使いとして、余すことなく食べ、そのいのちをわがいのちとして、おおくの貢物を添えて、魂を星神におくりだした。それが、イオマンテであり、八幡信仰でもあります。
生物・無機物を問わず、すべてのものの中に霊が宿っているという考え方、アミニズムが日本人のこころの原風景といえます。富山県では4千年前の土器や石器が発掘されています。その頃から、人は森と共に生きてきました。
残念なことに、近年里山の高齢化と過疎化とがすすみ、里山の守り人であった人たちがいなくなりつつあります。言い換えれば、里山を守る技術が消えていこうとしています。多くの生きものを育み、畑や田んぼを富ます原点は里山にあるといってもいいでしょう。
もはや、一部の山民に森のことを任すのではなく、森はみんなの大切な財産だという認識のもとに、里山のことを考えるときに来ていると思っています。
私たちは、子どもたちの感性を手掛かりに持続可能な里山の在り方を探ろうとしています。きっと土神の声が、私たちに届くと信じています。
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