里山は、薪や焚き木、木炭の生産拠点にあり、どこの里山も10年ほどの周期で、まるまる坊主の禿山になる皆伐が行われていました。それが木炭や薪に代わってプロパンガスが使われるようになり、里山は燃料生産基地としての機能を失いました。そして、今はだれも目を向けなくなりました。また、かつて竹林は、どこも屋敷林の一部でした。そこにも異変が起きました。
竹は、テミ、ビク、籠などの農具、土壁の小舞などの材料として重宝されていました。それが農具がプラスチックに代わり、竹小舞は石膏ボードに代わり、やはり見向きもされなくなりました。竹は定期的な除伐を行わないと、急速に地下茎を外に伸ばしていきます。
こうして、屋敷林の小さな竹藪がいつの間にか里山に深く浸食していきました。これが今の侵入した竹の荒ぶる今の里山の姿なのです。いまは、里山に地歩を広げていった竹が悪党のように見られています。しかし、そうなったのは、人が適切な管理をしなくなったからです。
そこで私たちは考えました。「竹の子つき里山美林」という森づくりもあるのではないかと。里山の斜面にでる竹の子か甘くて柔らかいのが特徴です。地表に木洩れ日が届き、木立の間を薫風がそよぐ、そんな樹々と竹とが共生する森づくりもあると考えたのです。
竹の寿命は20年ほどですが、10年ほどたつと茎筒が黄色くなりはじめ、しだいに葉も落としていきます。やがて立ち枯れて箒を逆さに立てたように枯れてしまいます。こうした生命力の落ちた竹や立ち枯れた竹を除伐することにしました。
密立した竹は切っても倒すことが難しいです。ですから、ちょうど達磨落しのように1.5mほどに切り落す方法をとります。
切った竹の始末には手間がかかります。枝を切り落して筒と枝とを分けて積む方法をとっています。枝を落す方法は、ナタ、太枝用剪定鋏、ラチェット式 剪定鋏などを使いながら進めています。
竹の除伐にあわせて、地表に陽の届くのを阻害している中低木の除伐も行っています。
これは作業が終わった部分です。竹の生えている山林は2町歩ほどあります。手の空いたときの作業ということになりますので、完了には一年ほどかかりそうです。
作業中に見つけた竹の子です。5キロもありました。柔らかくて、甘くておいしかったです。
平林の竹の子は、アクがほとんどないので、アク抜きはしません。作業中に見つけた竹の子は、山で皮をむき、帰ってから、薪を割って蒸して保存し、お裾分けします。
一時間ほど蒸しあげた竹の子です。
里山に竹の子を掘りに行く。いいじゃないですか、夢があって。近い将来、里山に竹の掘りに子どもたち招待したと夢見ています。
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