「ひらりんのもり」の名付け親は、しんでん保育園の子どもたちだ。今年からイエローキャップの子どもたちがやってくる。きっと自然の不思議を見つけ眼を輝かせるだろう。山の手入れをはじめたら、いろんな生きものが集まってくるようになった。森が明るくなって、すぐに姿を見せたのはコガラ、エナガなどの小鳥だった。わかるんですねぇ、心地よさが。
関東では、一月の終わりころに梅が咲きはじめ、二月の終わりことにモクレンが開きはじめ、三月の中ころに河津桜が咲き、三月の後半には染井吉野が華やかに街を彩る。まるで回り舞台のように主役が入れ替わっていく。雪国はちがう。雪が消えると、梅も、小彼岸桜も、コブシもヤマザクラもシャクナゲもいっせいに開きはじめる。花樹ばかりではない。ショウジョウバカマやイカリソウなどの山野草も一斉にひらくのだ。いろいろな花が、はなやかに美しく咲き乱れる百花繚乱のさまは、雪国でなければ味わうことができない。平林の人を思いやる美風は、ここの山川草木が創り上げてきたように思う。
宮沢賢治作の童話『なめとこ山の熊』にヒキザクラ(コブシ)とクロモジが登場する親子の情感あふれる場面がある。
今年の冬に穴の中で生まれた子熊は、山の一部が見て白くなっているのをみて「あれは雪だい」という。母熊は「あそこだけ雪が降るはずがないでしょう」。小熊「融けなかったのでしょう」。母は答えない。すると、子熊は「あれはヒキザクラだい。ぼく見たことがある」。母は「お前はまだヒキザクラをまだ見たことがありません」とたしなめる。子どもの成長を見守る母のやさしい眼差しにあふれる会話がつづく。それを物陰から見ていた猟師の小十郎が胸がいっぱいになる。後ずさりでその場を離れようとした時、クロモジの木の匂いがうっすらとした。クロモジには透き通るようないい匂いがある。
コブシの花に誘わるように「ひらりんのもり」にもヤマザクラが咲いていた。
森の整備をはじめて気がついたことがある。祖母はこの山でイカリソウの根を掘り、乾燥させて、カマスに入れて薬草の問屋に売っていた。しかし、その後山に人の手が入らなくなり山は荒れていった。むかしの群生地は笹薮になりイカリソウの姿は消えてしまった。それが、奇跡のようなことが起きた。笹薮を刈り払ったら、イカリソウの群生地がよみがえってきたのだ。イワカガミもチゴユリもそうだ。そればかではない。ギフチョウは、絶滅が危惧され大幅に数を減らしている。木漏れ日のある広葉樹林ときれいな水の流れる環境がなければギフチョウは生きてゆけない。広葉樹林の間伐をすすめ、水路を整備したら、ギフチョウが数多く見られるようになった。
この案内板に「自然はみんなのもの、みんなで守り育てよう」の言葉を刻みました。「みんな」とは、人間のみんなを指すのではありません。それも含みますが、森の生きものも草木もみんなという意味です。
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