森は人を育てるから、ひとは森を穏やかな表情にしてきた。

人間界で百歳というと長寿だが、木の寿命は樹齢3百年や5百年は特に珍しいことではない。また、家の柱や梁に用いても、最も強度を増すのは、建ててから杉で2百年後、桧や欅では5百年後になる。

わが家は大正の百年前に移築された。柱は杉だが土台や梁、棟木は松だ。
いづれも切り出されたのは江戸時代中期だと思われる。

私の祖先は木挽き大工だった。木を切り出すために京都から北海道、樺太までを渡り歩いた。祖父は教えてくれた。「丈夫な木を育てるには急斜面の磊山(らいざん)の岩と岩との隙間に苗を植えた」と。すると養分が少ないから、木は年に4ミリほどしか太くならない。百年木で40センチ。太くなると2ミリほどしか太くならない二百年樹で60センチほどのこともある。こうして、鉄よりもコンクリートよりも耐久性のある木が育てられてきた。

樹齢2百年の大杉(ぎらりんの森)

山師は急な斜面に苗を植えていく。そして、樹齢十年ほどの若木の時は、夏草に窒息しないように下草を刈り、樹齢五十年くらいまでは、下枝をはらい、間伐をしながら見守り育てる。こうして育てた樹を切り出すのは、次の世代か三代目、四代目になる。とかく仕事とは、金銭的な対価を得られる行為で、対価を得られない行為をボランティア(奉仕)活動と認識されている。しかし、これは古来より守成されてきた考えではない。

仕事とは、貴い方に仕える事という意味である。日本人が尊い方と考えたのは人ばかりではない、森羅万象も含まれる。大樹や大岩にしめ縄をはり、滝のそばに祠をつくるなどはこうした日本人の心が発露したものといえよう。

浦安清瀧神社の大欅

森の守り人の仕事は、何千年も受け継がれてきた仕事である。しかし、木に代わって、砂とセメントの練り物で建物が作られるようになり、また外国から、木屑をミンチにして接着剤で固めた板などの安い木材製品が入ってくるようになり、森の守り人は減少の一途をたどってきた。

これまで、都会生活は安全で快適なところとされてきた。それが変わった。大きな誘因になったのはコロナ禍の蔓延である。都会は安全な場所ではなくなってきた。また流れが回帰してきた。すこし前のことになるが、小児性鼻炎が治らず、東京から富山の山里に越した家族に出会った。いい空気を吸って鼻炎はすぐに完治した。放し飼いにしている白鶏の卵を探し集めるのが、学校に行く前の子どもの仕事だと聞いた。

子どもたちを豊かな自然の中で育てる

「しあわせ」は「仕合せ」ともかく。それは、周りを押しのけて枝からむしり取る果実ではない。周りに尽くすことによって、周りからもたらさせる贈り物である。森の守り人の仕事の大半は奉仕活動に類する。経済的には多くを望めないかも知れないが、それ以上に大きな贈りものがある。植えて、育てて、収穫を手にできる満足感。仕事を通じて自然と対話できる愉しさ。豊穣の季節の身に余る恵み。そうした中で自覚できるたおやかな日本のこころ。

アク抜きせずに食べられる”平林の竹の子” 人気が高い!
この落葉の古道を歩くと自然の声が聞こえる。

宮沢賢治の「林の思想」という詩に魅かれている。私の思いも同じように林が溶かし込んでくれるからだ。

林と思想

そら ね ごらん
むかふに霧にぬれてゐる
きのこのかたちのちひさな林があるだらう
あすこのとこへ
わたしのかんがへが
ずゐぶんはやく流れて行つて
みんな
溶け込んでゐるのだよ
  こゝいらはふきの花でいつぱいだ

人は森に育てられてきた。ひとは荒ぶる森を小さな生き物から大きな生きもの迄棲めるように、大樹がお日さまを独り占めするのではなく、落ち葉のすぐ上に咲く小さな花にも木洩れ日が届くように間伐し、草を刈り、収穫した木材を利用するなどして、手を入れてきた。その重要さはこの先の千年先も一万年先も変わることはない。

ブログ村 里地里山ランキングに参加中です♪

にほんブログ村 環境ブログ 里地里山へ
平林里山整備の会 里山の楽しさ、伝えたい - にほんブログ村
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

コメント

コメントする