浦安に戻る前日の8月29日に一人ひらりんの森を散策した。子どもたちの歓声がこだましていた森は静けさを取り戻していた。暑い日差はそのままだったが、樹々を縫い抜ける風は秋の風に代わっていた。
おおば会長(平林里山整備の会)がスコップ一つで作った山の水生動物のためのビオトープ池の水は澄んでいた。覗いてみると、今年生まれたメダカが群れていた。
ツルハシで窪みを掘り腕木を置いた階段は、子どもたちに踏み固められた遊歩道になっていた。
急な坂道を登ると、途中にゆずり葉の低木がある。正月の床の間を飾る木でもある。春に萌え出た若葉が夏には厚みのある葉になる。それを見届けて、これまで木の養分を作り続けてきた老いた葉は枝を離れる。
尾根には稜線を縫うように村々をつなぐ古道がつづく。一体どれほどの時間をかけて、どれくらいの人馬が通ったかも見当はつかない。ハッキリしていることは、硬い砂岩が深さ一メートル以上も削り取られているということである。
ここは、半世紀以上も人の入っていない地域だった。トゲのあるサルトリイバラや大蛇のような藤が木をからめとり、木を絞めたおし、とうてい人の近づける処ではなかった。それを山林整備の技術に長けている ただのさんご夫妻がほとんどボランティアで明るい陽の入る森にしてくださった。それがなければ、子どもたちを森に誘おうという発想そのものが湧いてこなかった。そうした密林の中に、胸高胴回り四メートル、樹齢二百年の大杉が現れたのだ。
大杉は柔らかく肥沃な地面では育たない。肥沃な土地では年輪幅の広い柔らかな杉になる。それでは厳しい風雪に耐えることはできない。それを富山の人はボカ杉という。痩せた地で年輪幅密な丈夫な杉は時間をかけて育つ。大樹になるにはそれを支える強固な岩盤も必須条件などである。
尾根まで登ると、その先に急斜面が待っている。子どもたちが転がり落ちる事態も想定して、そこにはつかまれるようにロープを渡した。ここを下りるのは保育園の年長組(5歳児)以上を想定していた。
ところが、やって来たのは地元・しんでん保育園の年中組(四歳児)だった。正直、ビビった。正面からの写真では斜面の勾配がよくわからないが側面から見ると次の写真になる。
横から見ると傾斜角がわかる、45度だ。上に立つと、ほとんど絶壁に見える。階段幅も大人の高さだ。一人ずつ先生にだっこされて下りるしかないだろうと思っていた。ところが大雨の翌日にもかかわらす、25人の子供たちは、誰一人お尻も膝も汚すことなく、元気に山を下りてきた。さすがは地元保育園の子だ。つよい、と驚嘆した。
水が透き通って来たカエル池を覗くと、もう秋だというのにまだオタマジャクシがいた。モリアオガエルのオタマだろう。水中は栄養がいいのだろう。まるまる太っていた。そこで栄養を蓄えて落ち葉の下にもぐり込んでいくのだろう。
あと、一カ月半ほどで山は錦に染まりはじめる。そのころ、私も平林に戻る。
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